鶴ヶ峰の武将ヒーロー「畠山重忠公」に思いを馳せて~その2

忠誠を誓う源頼朝や鎌倉幕府の危機に「いざ鎌倉!」と鎌倉へ駆けつける途中に、だまし討ちに会い、無念の死を遂げた地元鶴ヶ峰の武将ヒーロー、畠山重忠公。

前回、源頼朝との絆や、鎌倉で静御前の舞の伴奏をつとめたエピソードなどを紹介しましたが、そのまっすぐな人柄や、武芸以外にも音楽や芸術にも明るかった畠山重忠のかっこよさに改めて大ファンに。

周辺をもう少し調べてみると、鶴ヶ峰周辺には、まだまだいろいろな史跡がたくさんあることに気づきました。

今回は、相鉄線鶴ヶ峰駅から10分ほど旭区役所方面に歩き、厚木街道を渡った交差点の角、帷子川を見下ろす高台にある「畠山重忠公碑」を訪れてみました。

この碑は、重忠没後750年を迎えた昭和30年に、ここ鶴ヶ峰と、重忠のふるさとである埼玉県川本村(現・深谷市)の有志により建立されたそうです。

公碑のある場所は、ちょっとした公園のようなスペースになっています。

そこには、重忠が最後に矢にあたった際「我が心正しかれば、この矢に枝葉を生じ繁茂せよ」と言い地面につきたて、根付いた矢が毎年2本ずつ増え、茂りつづけたと言われている「さかさ矢竹」の由来が書かれた札がありました。死の直前まで変わらない重忠の誠実さ、そして無念さを表現した切なすぎるエピソード。

現在札の脇に生えているさかさ矢竹は、旭区の有志が、没後800年を記念して、再びその繁栄を願ってこの地にあらためて植えたもの。ほんとうの場所は、現在は残念ながら川が埋め立てられて、面影がなくなってしまっているそうです。

さかさ矢竹のあった場所は、旭区役所の北側という説もあるので、このあたりでしょうか?(写真右側が旭区役所)。この厚木街道を隔てた向かい側に、畠山重忠公碑があります。

なお、畠山重忠に矢を放ったのは、相模(今の厚木あたり)の武将愛甲季隆と言われており、彼はもともとは源頼朝の親衛隊として仕え、頼朝の子・頼家の弓の師範としても活躍していたそうなんです!

同じく頼朝を慕って仕えていた仲間に、最後は討たれなければならないとは、なんとも不遇な時代だったとつい思わずにはいられません。

そんな時代だったからこそ、主君への忠誠をさいごまで貫いた重忠の姿は、より輝きを増していまも多くの人々の心をとらえているんですね。

帷子川のほとりに立つ重忠の公碑は、夕日を受けてそんな日々をいまは静かに思い返しているように思えました。

『主君の一大事、いざ鎌倉!』と急ぎかけつけるため、重忠はすぐに出発できる手元の134騎のみで、埼玉県から出発し、この鶴ヶ峰付近にさしかかりました。

そこで、先に行かせた息子の重保が謀反人として由比ガ浜で討たれたことを知り、さらに自分に数万の大軍が向けられていることを知るのです。

家臣は一度埼玉県にもどって、軍勢を立て直すことを進言しましたが、重忠は「重保が死んだ今、家のこと、肉親のことを忘れるのが武士。一時の命をおしんで、かねてより陰謀があったとうたがわれるよりは、ここでいさぎよく戦う。」と家臣に告げます。

その決意に、全員がときの声を上げ、二俣川のほとりで彼らは数万の軍勢に立ち向かい、4時間も激しい戦いをくり広げ、最後には重忠を含む全員が戦死。それが、現在の南万騎が原周辺です。この辺りは、ほんとうに歴史の大舞台の中心地だったんですね。

主君への忠誠を最後まで貫いて、ここ鶴ヶ峰でいさぎよく散っていった戦国ヒーロー、畠山重忠。悲しいけれど、本当にかっこいい!

多くの人が彼をしのんで、その思いを馳せ、つくられた畠山重忠公碑。
鶴ヶ峰に行ったらぜひ、訪れてみてくださいね。

畠山重忠公碑
【所在地】横浜市旭区鶴ヶ峰本町1丁目1
【アクセス】相鉄線鶴ヶ峰駅北口から徒歩約10分

エリア&駅

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