和田義盛ゆかりの地⁈和田町駅徒歩約8分「和田稲荷大明神」

和田町について調べていると、「13人の鎌倉殿」や「和田義盛」という方の名前が出てきました。
気になって調べてみると「和田町」の駅名の由来は、歴史上の人物「和田義盛」からきているのだとか。
和田義盛ゆかりの神社もあるそうなので、散歩をしながら探してみることにしました。

「和田稲荷大明神」は存在感たっぷり

和田町駅から歩いていき、和田不動のところから階段をのぼるとすぐにありました。
話には聞いていたものの、赤い奉納のぼりがたくさん掲げてあり、存在感抜群。
同時によく見ると奉納のぼりの横に名前も記されていたので、地域の方にとても信仰されているお稲荷様ということもわかりました。

地域のみなさんの通り道

和田町駅へは徒歩約8分の距離ですが、こちらの和田稲荷大明神の横の階段を上まで登っていくと常盤台和田町線という結構車通りの多い、バス通りに出ることができます。

階段も途中で分岐していたのですが、バス通りに出ない側の階段は住宅街へと繋がっていて、保土ヶ谷区の坂と階段の多さに驚きました。
しかし、こうして毎日目にすることができる風景にお稲荷様がいらっしゃるのは、なんだか昔と現代の交差というか、憧れるものがありますね。

気持ちがタイムスリップするような不思議な気持ちに

いくつもの鳥居をくぐり、お参りをすると歴史を感じられるものがありました。
なかでも正面に掲げられている「略縁起」が印象的でした。その周りにはしっかりと千社札が。

千社札は江戸時代に神社仏閣を参拝した証を残し、自分の名前の札を貼っておくことでご利益を得るという風習があったそうです。しかも、同時期には稲荷信仰も大流行したとか。

これはもう歴史を感じずにはいられませんね。
江戸時代からずっと現代まで残っていると思うと、本当にすごいとしか言いようがありません…

和田稲荷大明神について

こちらの和田稲荷大明神ですが、管理はお隣の「真福寺」さんだというのでお電話をしたところ、資料をいただくことができました。

読んでみると「和田稲荷畧縁起」ということで、お社で読めなかった「略縁起」についてのものでした。

この「和田稲荷大明神」という名称は、和田義盛さんご自身でつけた名前じゃなかったようです。驚きました!
この稲荷大明神の略縁起によると、ざっくりですが、源頼朝が戦いにいくときにお供した和田義盛。義盛がその夜に宿に泊まった際に、神様が枕元に現れ「ここのお稲荷様を信じれば、願いが叶いますよ」という夢を頼朝に伝えました。後に義盛はそのことを忘れずに、その場所に稲荷の霊社を建てたそうです。

その後に、頼朝がその社を「和田稲荷大明神」と名付けたそうです。

初めて略縁起というものを読みましたが、なるほど、とまた新たな知識を得ることができました。

まだまだ奥が深い街、星川・和田町

取材をしていて歴史の深さをとても感じます。
保土ヶ谷区は昔、「保土ヶ谷宿」といって東海道に宿駅の制度が定められたときに、品川・川崎・神奈川に続く4番目の宿場で多くの人が休んでいた宿場だそうです。そんな宿場町だと本当に多くの歴史が眠っていそうですよね。
現代に何気なく残されている景色が大昔と繋がっていると考えるとなんとも言えない、壮大な気持ちになります。

ぜひあなたも街の一部分で歴史を感じるような散歩に出かけてみませんか。

和田稲荷大明神
住所:神奈川県横浜市保土ケ谷区和田2丁目8-3
アクセス:相模鉄道本線「和田町駅」から徒歩約8分

※記載情報は取材当時のものです。変更している場合もありますので、ご利用前に公式サイト等でご確認ください。