相鉄線・南万騎が原駅から、のんびり歩いて20分ほど。
静かな住宅街の一角に、ひっそりと佇む石碑があるのをご存じでしょうか。
その名は——畠山重忠公遺烈碑(はたけやましげただこう いれつひ)。
地元でも知る人ぞ知るこの石碑には、実はとても深い歴史と、武士の誇りが込められています。
畠山重忠公とは、どのような人物だったのでしょう?
畠山重忠公遺烈碑という名前だけ聞くと、少し難しそうに感じるかもしれません。しかし実際には、歴史好きの方にはたまらない見どころです。
もちろん、歴史に詳しくない方でも、気軽なお散歩の途中に立ち寄って、思わぬ発見ができるような場所でもあるんですよ。

畠山重忠は、簡単に申し上げると、正義感が強く、まっすぐで誠実な武士です。
近年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をご覧になった方には、すでにおなじみかもしれません。
俳優の中川大志(なかがわたいし)さんが演じていたのが、この畠山重忠です。
源頼朝の家臣として活躍し、その後も鎌倉幕府に尽くした重忠でしたが、やがて陰謀に巻き込まれ、非業の死を遂げました。
その生涯は、多くの人々の心に深い印象を残しています。
争いや裏切りが渦巻いていた鎌倉時代にあって、自らの信念と誠実さを、最後まで貫いた人物。
その生き様は、まさに「武士の鑑」と呼ばれるにふさわしいものでした。
石碑のある場所は?
石碑があるのは、道路と道路に挟まれた、少し見落としてしまいそうな静かな一角です。

この碑は、地元の有志の方々によって、明治25年(1892年)に建立されたものだそうです。
「万騎が原」という地名は、もともとは「牧が原」と書かれていたそうですが、1205年の二俣川合戦で、北条側が数万騎の軍勢を率いたという言い伝えから、「万騎が原」と表記されるようになったと伝えられています。
そんな歴史の重みを感じさせる場所ですが、いまではすっかり住宅地に溶け込み、日常の風景の中に、そっと佇んでいます。
碑面には「畠山重忠公遺烈碑」と堂々とした文字で刻まれ、裏面には、重忠公の生き様を讃える漢文の碑文がびっしりと彫られています。
やや難解な表現もありますが、その趣旨は——
『義に生き、潔く散った重忠の忠節は、永く讃えられるべきである』
というもの。

静かな風に吹かれながら碑文を眺めていると、時代を超えて、重忠公の想いが静かに語りかけてくるような気がします。
この場所が「最期の地」
この地は、畠山重忠が最期を迎えた場所として知られています。
1205年、「二俣川の戦い」において、重忠はわずか150騎を率い、北条軍の大軍に包囲されました。
壮絶な戦いの末、彼はこの地で討たれることとなります。
最後まで逃げることなく戦い抜いたその姿に、敵であった北条方の武士たちですら、その忠義と潔さに深く心を打たれたと伝えられています。
このような背景を思いながら石碑を眺めていると、それは単なる石のかたまりではなく、まるで当時の情景が静かに浮かび上がってくるような気がします。
……まさに、“兵(つわもの)どもが夢の跡”、ですね。

こちらは同じ敷地内にある「畠山地蔵尊」です。
昭和30年代、近隣の万騎が原団地の造成工事が行われた際に、畠山軍のものと思われる多くの遺骨が発見されました。
その供養のために、地元の方々がこの地蔵を建立したのだそうです。

もうひとつ、こちらは「庚申塔(こうしんとう)」と呼ばれる石碑です。
道標を兼ねており、左面には「戸塚道」、右面には「大山道」と刻まれています。
おそらくこの場所は、かつて「戸塚道」と「大山街道(大山詣での道)」が交差する、交通の要所であったのかもしれません。

気軽に行ける歴史スポット
畠山重忠公遺烈碑は大きな観光地ではありませんが、「えっ、こんなところに!」と驚くような歴史が、今も静かに息づいています。
歴史に詳しい方はもちろん、そうでない方にも、きっと心に残る場所ではないでしょうか。
駅から歩いて行ける距離なので、お天気の良い日に、気軽なお散歩がてら立ち寄るのにぴったりです。
ただし、近くにコンビニなどはありませんので、飲み物などはあらかじめご用意されることをおすすめします。
歴史に詳しくなくても、「なんだか、いい時間を過ごせたな」と感じていただけるような、そんな穏やかで落ち着いた場所です。

少し遠くにある有名な観光地に出かけるよりも、こうした“身近な名所”こそ、心に深く残るのかもしれません。
次のお休みに、ぶらっと立ち寄ってみてはいかがですか?
畠山重忠公遺烈碑
住所:神奈川県横浜市旭区万騎が原104
アクセス:相鉄いずみ野線「南万騎が原駅」から徒歩約20分、「二俣川駅」から徒歩約15分