鎌倉時代、源頼朝への忠誠を貫き、
幕府の危機に「いざ鎌倉!」と数百騎の兵でかけつける途中に
だまし討ちに逢い、ここ鶴ヶ峰で数万の兵と戦い散っていった
鶴ヶ峰のヒーロー畠山重忠。
以前、『鶴ヶ峰の武将ヒーロー「畠山重忠公」に思いを馳せて』と題し
2回にわたってブログを書きましたが、
1回目のブログでは、重忠のまっすぐな人柄や頼朝に信頼され、
武勇だけでなく音楽や芸術の才能も優れていたエピソードを、
2回目では不思議な「さかさ矢竹」のお話や万騎が原の地で数万の兵と
潔く戦って散った歴史的な経緯などを紹介しました。
知れば知るほど、畠山重忠公の魅力に取りつかれてしまった私。
いろいろと調べてみると、周辺にはまだたくさんの重忠の史跡が
あることが分かりました。
そこで今回は、この地で亡くなった畠山重忠をはじめ一族郎党を
埋めたとされている霊堂「六ッ塚・重忠公霊堂」を訪ねてみることに。
入場料は不要。住宅街の中の静かな薬王寺
まず、相鉄線鶴ヶ峰駅から、旭区役所方面に歩き、
国道16号を渡って路地に入ります。
駅から12分くらい歩いたところの閑静な住宅街のなか、この標識があらわれます。
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標識の示すほうに歩くと、霊堂である「薬王寺」の門にさしかかります。
毎年重忠の命日である6月22日には慰霊祭が催されるそうですよ。
周辺はとても静かな雰囲気で、ほとんど人がいません。
ここを歩いていると、戦乱の世を駆け回った重忠たち一族が、
今は静かに私たちの世の中を見守ってくれているような気がしてきます。
薬王寺は六ッ塚を見学するだけなら、入場料などは不要!歴史好きなら
ぜひ訪れたい場所ですよね。
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白い「六ッ塚」の案内板には、
畠山重忠がここ鶴ヶ峰で無念に散ったエピソードが。
その脇にはこの地域で討たれたことを示す石碑もありました。
案内板の『畠山重忠公は知仁勇の三徳を兼備えた武将で今なお親み慕われている』
という言葉、まさに武勇だけでなく芸術にも明るかった
男前な重忠をあらわすのにぴったりの表現ですね。
駅から歩けるこの場所に、
こんな立派な畠山重忠の史跡の場所があったなんで、
いままでまったく知りませんでした。
ここ鶴ヶ峰、二俣川、万騎が原の周辺は
ほんとうに歴史的な場所なんですね。改めて感激しました。
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六ッ塚に眠る重忠一族
『この地に主従一同と六ケ所に葬り代々伝えて六ッ塚と言う』
数万の兵との数時間の激戦の末、
134騎の重忠勢はこの地で全員討ち死にしました。
この薬王寺の境内や周りには6つの塚があり、
彼らはそこに分散して葬られているといわれています。
そもそも私は、お墓ではなく「塚」というものを、
今回初めて目にすることができました。
真ん中がこんもりと高くなっている小山のような大小6つの塚。
古墳に近いものなのかもしれません。
地元でこんな貴重なものを見ることができるなんてありがたいですね。
その中でも一番大きく「畠山重忠公の精霊」と書かれている
境内左の一番大きな塚が重忠のものでしょうか。
塚に関してはさまざまな説があるようです。
周辺には、ほんとうに周りの草木にまぎれてしまいそうな、
5つの小さな丸い塚があちこちにあり、とても興味深いです。
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境内を出て左側の少しスペースがとられている場所にも、
小さな塚や石碑、そして畠山重忠公の仏さまのお姿まで。
そのおだやかで賢く優しい顔立ちをみていると、
厳しい時代だった戦国武将の影はみじんもなく、
緑に囲まれた心安らかな表情が私たちをなごませてくれます。
この静かな鶴ヶ峰の地で、心がまっすぐで音楽や芸術を好む重忠は、
戦乱の世からずっと、信頼できる仲間と共に、心穏やかに人々を
見守ってきたのかもしれませんね。
薬王寺(六ッ塚・重忠公霊堂)
住所 :神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町2丁目14-1
アクセス:相鉄線鶴ヶ峰駅から徒歩10分
TEL:045-951-1390