朝晩だいぶ涼しくなったので、地元旭区の鶴ヶ峰や二俣川の歴史散策をするのもいいですね!
相鉄沿線には、意外と歴史ある史跡が多いんですよ。
私もいま一度おさらいしてみたくなりました。
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突然ですが、一番好きな戦国武将は誰ですか?と聞かれたら、皆さん誰と答えますか?
私はもちろん、地元鶴ヶ峰で散った「畠山重忠(はたけやましげただ)」と答えます。
子どもの頃から、源頼朝への忠誠心をつらぬいて、危機を聞きつけ「いざ鎌倉!」
と向かう途中、鶴ヶ峰付近でだまし討ちにあい、殺された忠誠心のヒーローの話を
両親からよく聞いていました。旭区でも地元の歴史ヒーローとして、
さまざまな場面で畠山重忠の名前が登場しますよ。
きちんとおさらいして調べてみると、畠山重忠は鎌倉時代に活躍した武将で、
幕府をひらく際にも力をつくし、源頼朝にとっても信頼されていたようです。
幕府をひらいた際、はなやかに京都入りした隊列の先頭をつとめたのが、畠山重忠。
また頼朝が亡くなる時、子どもたちの事をお願いしたのも、畠山重忠だといわれています。
それを聞いただけでも、頼朝の彼への信頼度がよくわかりますね。
重忠は、埼玉県深谷市に生まれ、普段はそこに屋敷をかまえていました。
源義経とともに一の谷や屋島で平氏と戦い、奥州征伐でも活躍したと言われています。
頼朝亡き後、北条氏の幕府の権力争いにまきこまれ、だまされて鎌倉に向かう途中、
鶴ヶ峰付近で討ち死にしました。
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写真は、鶴ヶ峰駅から徒歩5分ほどの、旭区役所の裏手の住宅街の小高い部分にある
重忠の討ちとられた首が祭られているとされる「首塚」です。
ほんとうかどうかは分かりませんが、重忠の鎌倉への気持ちがあまりにも強く、
討たれてから鎌倉方面に首が飛んで行った、とのエピソードもあるそうです。
この忠誠心、ほんとうにすごいものがありますね!今は本当にしずかな場所に、
おだやかに祀られています。
重忠の人となりを示すエピソードも興味深いですよ!
源義経が、敵の背後から一気に坂を下って攻めた、有名な「ひよどり越えの逆落とし」
の際は、体力自慢の重忠は自身の馬を背負って下ったという豪傑エピソード。
また、静御前が、鶴岡八幡宮で義経を偲びつつ舞いを舞った際には、
重忠が銅拍子を打って伴奏をつとめたそう。武勇だけでなく、
音楽などの幅広い教養を身につけていたことが分かりますね。現代にいたら、
重忠はとっても人気があったのではないでしょうか?
それに加え、忠誠心が強くまっすぐな性格なのだとしたら、
女性から見てもめちゃくちゃかっこいいですね!
重忠が矢にあたった際に、「我が心正しかれば、この矢に枝葉を生じ繁茂せよ」
と言い地面につきたてました。根付いた矢は毎年2本ずつ増え、
茂りつづけたと言われています。「さかさ矢竹」といわれたその場所は、
今は川が埋め立てられて見ることはできないそうですが、
旭区役所のちょうど裏側にあったそうですよ。
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そんな畠山重忠や戦国時代に思いをはせながら散策できるのが、
そこから鶴ヶ峰駅方面へ続く「鎧の渡し緑道」。さまざまな木や花が植えられていて、
心癒される緑の散策道です。
帷子川跡地を利用して今はプロムナードとして整備されていますが、鎌倉時代の武士が
鎧を頭上にかかげて川をこえたことから「鎧の渡し」と呼ばれていたそうです。
また河原に井戸があり、切られた畠山重忠公の首を洗った井戸があったという伝説も。
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周辺にはまだまだ今回~紹介し切れない史跡もたくさんありますよ!気候が穏やかになったら、
そんな鶴ヶ峰周辺の歴史さんぽ、ゆっくりとしてみませんか。